SaaSビジネスでは新規顧客獲得によるビジネスの成長が重視されるために、新規顧客獲得コストについては十分に注意が払われているのではないでしょうか。
一方、既存顧客維持のためのコストにも注意を払うべきであることは忘れられやすいかもしれません。しかし、新規顧客の獲得コストは既存顧客の維持コストの5倍前後かかるともいわれています。
この記事では、顧客維持コストの計算方法と、コストの削減方法について解説します。
顧客維持はSaaSビジネスの土台
SaaSビジネスでは経営状態を把握するためのさまざまな指標を利用することができます。たとえば年間経常収益(ARR)、顧客生涯価値(CLV)、顧客獲得コスト(CAC)、解約率などです。
そしてこれらに加えて重視すべき指標が顧客維持コスト(CRC:Customer Retention Costs)です。
SaaSビジネスでは顧客維持は重要な目標です。土台となる顧客維持ができなければ、ARRもCLVも数値を改善することができません。
そのため、SaaSの健全性は顧客維持に依存しているといえます。
しかし、顧客維持は放っておいても保てるわけではありません。既存の顧客から継続的に収益を得るためには、顧客維持のためのコストに注目しなければならないのです。
顧客維持コスト(CRC)の定義と計算方法
顧客維持コスト(CRC:Customer Retention Costs)とは、顧客を維持するためのコストの総計です。
具体的には、カスタマーサクセスチームの人件費、カスタマーサクセスプラットフォーム費、カスタマーエクスペリエンスプラットフォーム費、アカウント管理費、CSMのトレーニング費、オンボーディング費、ソフトウェア(ツール)費、そして既存顧客向けのマーケティングやキャンペーンの費用などの総計です。
ただし、CRCには以下の通りいくつかの計算方法があります。
CRCの計算方法:総額を算出するタイプ
まず、単純に年間もしくは月間などの一定期間にかかった顧客維持のためのコストを総計してCRCと捉える考え方があります。
この場合は、対象期間内において顧客維持のために費やした費用を全て合計した金額が年間もしくは月間などのCRCとなります。
CRCの計算方法:顧客1人当たりのCRCを算出するタイプ
特にスタートアップ時など、新規顧客獲得のための費用と顧客維持費を比較しながら経営戦略上の投資配分を調整していきたい場合などは、顧客1人当たりの年間CRCを算出します。計算式は「CRC÷有効顧客数」となります。
たとえば、ある1年間のCRCが700万円かかっていて、維持している顧客数が200人であった場合は、CRCは3万5000円となります。
CRCの計算方法:CSMごとの顧客1人当たりのCRCを算出するタイプ
カスタマーサクセスチームの人数や一人当たりの担当顧客数が適正かどうかなどを確認したい場合などでは、CSMの人件費を、そのCSMが担当している顧客数で割る計算方法があります。
たとえばあるCSM1人に年間600万円を支払っており、そのCSMが担当しているアカウントが100件であれば、「600万円÷100件」でそのCSMが担当しているアカウントのCRCは6万円となります。
ただしこの計算スタイルは、1件のアカウントに複数のCSMが携わっており、1人のCMSも複数のアカウントを担当しているなど、CSMと顧客の関係が複数対複数の場合には計算が複雑になり実用的とはいえなくなります。
CRCはCAC同様に重視すべき
多くのSaaS企業が顧客獲得単価(CAC:Customer Acquisition Cost)に注目しますが、同じくらいにCRCも重要です。
いくら新規顧客を獲得できても、既存顧客の維持率が低ければ、SaaSビジネスの収益モデルでは企業の成長を期待できません。
顧客維持率がわずか5%向上するだけで、収益性は95%も向上するといわれています。
このことからもSaaS企業は顧客維持率を高めるための投資を行う必要があるのです。
しかし、投資は無制限に行うべきではありません。収益に対してCRCが高すぎる場合は、肝心の製品やサービス自体に問題がある可能性も考えられるためです。
CRCをさらに下げる方法
通常、CACはCRCに比べて遙かに高くなります。それだけ顧客維持はコストパフォーマンスに優れた施策だといえます。
しかし、顧客体験の質を保ったまま(あるいはさらに向上させつつ)現在のCRCをさらに下げることができれば、収益体質のさらなる強化に繋がります。
そこでここでは、CRCを下げるために検討すべき施策を紹介します。
CSMのリソース活用を効率化する
もし、カスタマーサクセスマネージャー(CSM)が顧客から製品・サービスの主要な機能の説明を求められたり、基本的な使い方についての説明を求められたりしている頻度が目立つようであれば、顧客に対する機能説明や使い方の説明方法について見直す必要があります。
顧客が自主的に製品・サービスの機能や使い方を学べるように用意されているドキュメントや動画、デモなどの内容を改善することで、CSMのリソースを効率的に活用できるようになります。
カスタマーサクセスプラットフォームの活用
CSMが手作業に追われて、より緊急性の高いタスクに注力できていない状況であれば、カスタマーサクセスプラットフォームを導入することでCSMの作業を自動化する必要があります。
学習管理システムやチャットボット、オンボーディングソフトウェアを活用することでCSMの作業を自動化できれば、CSMはより緊急性の高いタスクに注力できるようになり、CSMを増員する必要性が軽減されてCRC削減につながります。
顧客のフィードバックをカスタマーサクセスに生かす
製品・サービスのアップデートを顧客と共有します。顧客は製品・サービスの改善方法や自主的なトレーニングについて有益なフィードバックを持っている可能性があります。
このフィードバックは、CRCの削減に役立つ可能性があります。
なぜ、企業は顧客維持よりも顧客獲得に投資しやすいのか
企業が顧客維持よりも顧客獲得に投資を行いやすい理由には、顧客獲得の方がCV(Conversion)を計算することでROI(Return On Investment)を算出しやすいことがあります。
一方、顧客維持率の成果を算出するためにアンケートでフィードバックを求めたり架電で得られるアップセルの成果を判断したりすることは難しいのです。
そのため、企業は簡単に数値化できる顧客獲得に比べて顧客維持には投資をためらう傾向があります。
カスタマーサクセスチームはコストの印象が強い
顧客維持全体のコストは把握しにくい面がある中で、カスタマーサクセスチームのメンバーの人件費は明確で把握しやすく目立つコストです。
そのため、カスタマーサクセスチームはあたかもコストセンターのような印象を与えてしまいます。
しかし、実際には顧客維持コストは新規顧客を獲得するコストに比べて低いのです。
既に、カスタマーサクセスチームにおいて自動化もできていれば、カスタマーサクセスチームの人件費は、デジタルツールでは賄えない人と人との信頼関係を維持するためのコストだと考えることができます。
顧客維持の成果は変化が目立たない
新規顧客獲得の成果は、即時に現れるため把握が容易です。
一方、顧客維持の成果は、実は常に出ているため変化として捉えにくい面があります。そのため顧客獲得時のように目立ちません。
その結果、顧客獲得のための投資の方が、顧客維持のための投資よりも行い易くなります。
まとめ
SaaSビジネスにおいては新規顧客獲得も重要ですが、同様に顧客維持も重要です。この両者のバランスをとることが、SaaSビジネスを成長させるカギとなります。
したがって、顧客維持への投資はLTV(Life Time Value)を向上させるために必要です。この投資を怠ると、成長に必要な顧客基盤が脆弱になってしまいます。
SaaSビジネスを成長させるためにも、カスタマーサクセスコストの必要性について、常に注目しておく必要があります。